KOKUBO Norimitsu(top middle) / Photo: MIYAJIMA Kei, Tomasz MACHCIŃSKI (right) / Courtesy of Tomasz Machciński Foundation, Imanuel MAPEU(bottom middle) / ©collection abcd/Bruno Decharme, Harald STOFFERS(left) / ©collection abcd/Bruno Decharme
KOKUBO Norimitsu(top right) / Photo: MIYAJIMA Kei, Tomasz MACHCIŃSKI (bottom right) / Courtesy of Tomasz Machciński Foundation, Imanuel MAPEU(bottom left) / ©collection abcd/Bruno Decharme, Harald STOFFERS(top left) / ©collection abcd/Bruno Decharme
ポコラート世界展
偶然と、必然と、
障害のある人、ない人、
アーティストの生の表現を世界に解き放つ。
会場
アーツ千代田 3331
1階メインギャラリー
本展はポコラート事業10周年を記念し、世界6地域
(アジア・ヨーロッパ・アフリカ・北米・中南米・オセアニア)の
46市町村50名による240点余の創作が集結します。
国籍、年齢や性別、障害の有無、美術の枠組みさえも飛び越える
驚くべき創造の数々をお楽しみください。
- 全22カ国
(50音順)
-
アメリカ合衆国、イギリス、イタリア、
イラン、インドネシア、
オーストリア、カナダ、キューバ、
スイス、スウェーデン、
チェコ、中国、ドイツ、ナミビア、
日本、ニュージーランド、
ブラジル、フランス、ベナン、
ベルギー、ポーランド、モロッコ
世界22ヵ国、50名の作家による
200点を超える創作の数々を
フルカラーで掲載した
圧巻の図録
独自のリサーチの元、キュレーションした240点余の創作物を展覧会の6つのテーマに沿って掲載する、全288ページの図録です。
6つのテーマは「自己の内面」「物と行為の関係」「身近な事象や物のかたちの捉え方」「環境から創作への影響」「世界の成り立ちについての考え方」「過去の記憶」など。自身を被写体として様々な人物に扮し撮影したポートレートや世界の成り立ちをカレンダーで表現した創作など、国籍、年齢や性別、障害の有無、美術の枠組みさえも飛び越える創作の数々を本書でぜひご堪能ください。
価格 :1,900円+税
頁数 :288頁
判形 :242mm×188mm
言語 :日本語・英語
※ 展示会場ならびに 3331 CUBE shop&galleryでも
購入することができます。
【 発行 】
千代田区
アーツ千代田 3331
【 編集 】
嘉納礼奈
【 論考執筆 】
中村政人
ルシエンヌ・ペリー
保坂健二朗
バルバラ・シャファージョヴァー
嘉納礼奈
【 ブックデザイン 】
O design
【 発行所 】
アーツ千代田 3331
無料ガイドブック
会期中、ご希望の方には全20ページフルカラーのガイドブックを数量限定で展覧会受付にて無料配布。お子さまにも大人にも展覧会の内容や作品をわかりやすく解説!
オンラインギャラリー|3DVR
新型コロナウイルスの感染拡大予防対策として、また遠方でご来場いただけない方もポコラート世界展をお楽しみいただけるよう3DVRを用いたバーチャルツアーにより、まるで会場にいるかのような鑑賞体験をお届けします。3D空間内では、キュレーターの解説ビデオもご覧いただけます。
- 期 間
- 8月半ー10月半
(約2ヶ月間)
- 料 金
- 400円
- 視聴期間
- 購入後48時間
※チケットは鑑賞ページよりご購入ください。
(クレジットカード・銀行振込・paypal・コンビニ決済可)
PHOTO GALLERY
展示の様子
Photo: MIYAJIMA Kei
「わたし」から宇宙へ、
宇宙から「わたし」へ
ステートメント
作り手は、日々の生活の時間や空間の中で、絵を描いたり、彫刻を作ったり、切ったり、貼ったり様々な創作活動を行う。
人は「わたし」として生まれ、「わたし」の人生を送る中で、「わたし」をとりまく身近な環境、社会、他者との出会いの中で思いをめぐらせ、ときにはハプニングに遭い、生きていく。
科学は、我々をとりまく世界や我々自身の存在の謎を解明しようと探求してきた。哲学や芸術もまたそうである。
ギリシャの哲学者、デモクリトスの言葉に、「宇宙に存在する全てのものは、偶然と必然の産物だ」とある。デモクリトスのいうように、我々を含めて地球上の、いや、宇宙のすべての存在が偶然と必然の産物である。作り手たちの作品は身近な小さな世界を扱っているが、それは大きな世界に通じている。大きな宇宙はその小さな宇宙を内包するものである。「わたし」自身が小さなミクロの宇宙の集合体であり、その「わたし」も無限に広がる宇宙の一部である。これらが、「美術」と呼べるものなのかはわからない。または、「美術」という範囲に収まりきれないかもしれない。
確かなことは、我々の存在の謎の解明への探求がここにあるということだ。
本展キュレーター 嘉納礼奈
世界22カ国から
50名の作家の
作品240点余が集結。
出展作家
- ワンダ・ヴィエーラ=シュミット
- ジョージ・ワイドナー
- エンタン・ウィハルソ
- メルヴィン・ウェイ
- ヴェイオ
- 上田 海登
- カルロス・ハビエル・ガルシア・ウエルゴ
- 小幡 正雄
- 郭 鳳怡
- 金崎 将司
- ダウード・クーチャキ
- ユリア・クラウゼ=ハーダー
- 黒田 勝利
- 桑原 敏郎
- カルロ・ケシシアン
- 古久保 憲満
- フランツ・フォン・ザールフェルト
- 澤田 真一
- 舛次 崇
- ハラルト・シュトファース
- レオポルト・シュトローブル
- クルツィオ・ディ・ジョヴァンニ
- 杉浦 篤
- チャールズ・ステッフェン
- 武田 拓
- エルク・タングテン
- ニ・タンジュン
- 鶴川 弘二
- ジョン・デブリン
- ローラ・デルヴォー
- マーティン・トンプソン
- 中道 一輝
- ヨックム・ノードストロム
- モハメド・ババフム
- 平野 智之
- ヘルムート・フラディッシュ
- ルボシュ・プルニー
- ミスレイディス・フランシスカ・カスティージョ・ペドロソ
- マリアン・ヘネル
- ヨーゼフ・ホーファー
- ユリウス・ボッケルト
- コスティア・ボトキン
- トマシュ・マフチンスキ
- イマニュエル・マペウ
- ジミー・ツトム・ミリキタニ
- エズキエル・メスー
- マルク・モレ
- 吉原 長次郎
- 与那覇 俊
- アンドレ・ロビヤール
(アーティストの姓の50音順)
- 本展は、6つのテーマで構成されます。
それは「わたし」のこころから始まり
行為、身体、環境、大宇宙
時空を超えた記憶と
遠心的に広がり
連結して共に動いています。
ヨーゼフ・ホーファー 《無題》 2009年
人は、「わたし」に出会う時、「わたし」の姿をどのように捉えるのだろうか。「わたし」のこころが捉えた「わたし」の表現の数々。
- 内なる人格と仮面
- 人は、「わたし」に出会う時、「わたし」の姿をどのように捉えるのだろうか。 「わたし」の内側から感じる「わたし」もいれば、外側の社会を通して見る「わたし」もいる。 毎日の生活の中で、「わたし」が「わたし」を観察し、「わたし」の像を更新したり、「わたし」が「わたし」の欲望を満たしてくれる対象となったりする。 また、あらゆる人間になりすまし、「わたし」は何者なのかを考えてみたりする。「わたし」から始まる寓話や空想の世界は、その夢見る力により果てしなく自由な領域へと「わたし」を旅立たせてくれる。
- 【出展作家】
-
小幡 正雄 (日本)
桑原 敏郎 (日本)
ハラルト・シュトファース (ドイツ)
レオポルト・シュトローブル (オーストリア)
マリアン・へネル (ポーランド)
ヨーゼフ・ホーファー (オーストリア)
トマシュ・マフチンスキ (ポーランド)
与那覇 俊 (日本)
武田 拓 《はし》 2010年 photo:MIYAJIMA Kei
貼る、重ねる、刺す、巻く、集める、書く。日常の中で出会った行為が、ある瞬間に一線を越える。創造の原初的な瞬間を迎える。
- 行為からかたちへ
- 貼る、重ねる、刺す、巻く、集める、書く、祈る。ある物質との出会いや動作を繰り返すうちに、いつしかある瞬間に日常の一線を越える。日常から創造の世界へ入る原初的な瞬間が訪れる。行為は痕跡としてかたちになる。ひとつまみの土が想像上の生き物の体の棘となったり、柔らかい紙が重い硬い大理石のようになる。拾い集めた廃品が兵器となり、母の遺品の裁縫道具などが一つの塊となる。日常生活や従事する職業における必然的な行為や日課から、思いもよらないかたちの数々が出来上がる。
- 【出展作家】
-
金崎 将司 (日本)
カルロ・ケシシアン (イギリス)
澤田 真一 (日本)
武田 拓 (日本)
ローラ・デルヴォー (ベルギー)
エズキエル・メスー (ベナン)
マルク・モレ (スイス)
アンドレ・ロビヤール (フランス)
ユリア・クラウゼ=ハーダー 《Juravenator》 2013年 Foto: Atelier Goldstein
身体生命の謎
人間や動植物をはじめとする地球上の生き物、身の回りのものはどのようにできているのか。「わたし」の数だけ存在する謎の解明。
- 身体生命の謎
- 人間や動植物をはじめとする地球上の生き物、身の回りのものはどのようにできているのか。「わたし」に「わたし」の目の前にあるものがどのように見えるのかはじつに多種多様である。形、色、大きさ、「わたし」にはこう見える。または、はるか昔の生物や未だこの世に存在していない生物に思いを馳せる。またすでに存在する動植物と人間を合体させたりして新たな生き物を作り出す。生き物の謎に迫る視線は「わたし」の数だけ存在する。
- 【出展作家】
-
ユリア・クラウゼ=ハーダー (ドイツ)
舛次 崇 (日本)
チャールズ・ステッフェン (アメリカ合衆国)
クルツィオ・ディ・ジョヴァンニ (イタリア)
中道 一輝 (日本)
ヘルムート・フラディッシュ (オーストリア)
ルボシュ・プルニー (チェコ)
ミスレイディス・フランシスカ・カスティージョ・ペドロソ (キューバ)
ユリウス・ボッケルト 《無題》 2013年 ©collection abcd/Bruno Decharme
取り巻く環境からかたちへ
ある時代や社会、あるいは生活が持っている文化的な慣習、
または環境と密接なつながりを持つ創作の数々。
- 取り巻く環境からかたちへ
- 創作は、ある時代や社会、あるいは生活が持っている文化的な慣習、または環境と密接なつながりを持つ。近代西洋の実験による仮説を証明していくような科学的な考えが現れる、音波を描いた絵画や、東洋的な民間信仰のように苦しみを癒してくれる精霊たちを作り出す試みもある。 また、南米では、身の回りにある木の枝を様々な形や生物に見立てたり、日本では、アニメと小説を合体させたような創作が生みだされた。 アフリカでは、飛行場の音を聞きながら観光客向けのお土産を作っていたら、なんとか飛ぼうとする大きな飛行機ができてしまった。
- 【出展作家】
-
ヴェイオ (ブラジル)
ダウード・クーチャキ (イラン)
黒田 勝利 (日本)
エルク・タングテン (ベルギー)
ニ・タンジュン (インドネシア)
モハメド・ババフム (モロッコ)
平野 智之 (日本)
ユリウス・ボッケルト (ドイツ)
イマニュエル・マペウ (ナミビア)
吉原 長次郎 (日本)
ジョージ・ワイドナー 《Megalopolis》 2000-2010年 ©collection abcd/Bruno Decharme
わたしたちを取り巻く世界はどのように成り立っているのだろうか。世界に関する情報とそれを処理する記号の空間が創作となる。
- 内なる人格と仮面
- わたしたちを取り巻く世界はどのように成り立っているのだろうか。 世界を俯瞰して上から見てみると、人間の暮らす街の様子が見える。 建物や商店が並び、交通網が張り巡らされている。 全てが理想の比率でできている世界を想像する人もいれば、微粒子や東洋的な「気」でできていると考える人もいる。 物質の問題だけではなく、私たちの生きる時間と空間の中で、あらゆる出来事によって世界は構成されている。 自然災害や、人間が作り出した集団の中での紛争や差別などの共存の難しさも世界を構成する要素と考える。世界に関する情報とそれを処理する記号の空間が創作となる。
- 【出展作家】
-
エンタン・ウィハルソ (インドネシア)
郭 鳳怡 (中国)
古久保 憲満 (日本)
フランツ・フォン・ザールフェルト (ドイツ)
ジョン・デブリン (カナダ)
マーティン・トンプソン (ニュージーランド)
ヨックム・ノードストロム (スウェーデン)
コスティア・ボトキン (ベルギー)
ジョージ・ワイドナー (アメリカ合衆国)
鶴川 弘二《無題》 2013-2019年 photo:MIYAJIMA Kei
時空を超えた記憶への旅
「わたし」の人生に起こったこと、太古の昔に地球上で起こった出来事、人類の歴史上の事実が時空を超えて混じり合う。
- 時空を超えた記憶への旅
- かつて暮らした故郷の風景、苦い思い出の場所、家族に言われた言葉、大切な人と一緒に過ごした日々、何十万年もの宇宙の記憶を忘れまいとする記憶装置のような創作。「わたし」の人生に起こった個人的なこと、太古の昔に地球上で起こった出来事、または人類の歴史的な事実が混じり合って時空を超えて蘇る。 かつてのあれが現在のここに重ね合わさり、複雑に絡み合い交差しながら目の前に形として現れる。
- 【出展作家】
-
ワンダ・ヴィエーラ=シュミット (ドイツ)
メルヴィン・ウェイ (アメリカ合衆国)
上田 海登 (日本)
カルロス・ハビエル・ガルシア・ウエルゴ (キューバ)
杉浦 篤 (日本)
鶴川 弘二 (日本)
ジミー・ツトム・ミリキタニ (日本)
応援メッセージ
「なんだろう、このつき動かす力は」
O JUN
画家
ここに集められた作品は、どれも面白く変で不思議で強くて怖くもあり、見ているこちらの躰や目になぜか簡単に馴染まないものばかり。描かれているモノ、作られているモノはどれも僕らの身の周りのモノやコトだらけなのに。もう一つ、見えそうで見えないものがある。作者がこれらの作品をどんな格好でどんな風に描いたり作ったりした(している)のか?彼らが制作する時の姿だ。僕は、それを想像してしまう。
小池 一子
クリエイティブ・ディレクター
佐賀町アーカイブ主宰
「なんだろう、このつき動かす力は」。 つくる人自身が口に出すことはないとしても、つくりながら感じているに違いない衝動。 それがあるのが生命の自然であり、つくられた結果がアートと呼ばれるに至るものであると私は思います。
ポコラートと呼ばれて10年になるこの展覧会のシリーズは毎回見る人がハッとするような作品を日本から発信し続けて、今年は世界の国々からの参加が賑やかです。 見る人も、つき動かされるでしょう、創作の衝動の力に。
椹木 野衣
美術批評家
ポコラートは、これまでもすべてのアートを等価に扱い、まるで宇宙のように拡張してきた。 宇宙、そう世界ではなく宇宙なのだ。 世界には歴史があるけれども、宇宙にそのようなものはない。 その意味で、ポコラートは美術史に拘束されない。 秘密は、人類=文明全体ではなく、ひとりひとりの内なるヒト宇宙の中にある。 時は過去から未来へと向かって流れるのではなく、外と内でコレスポンダンス(万物照応-ボードレール)するのだ。 今回、その可能性が最大限にまで拡大されている。
畠山 直哉
写真家
東京藝術大学大学院映像研究科教授
私たちの世界とは「にんげんだもの」と言われて頷く人々だけが暮らす世界だ。 その外部の住人 = 他者は、この「にんげん」には含まれていない。 他者への無関心、忌避、偏見、差別、排除。 「にんげん」によって毎日フツーにおこなわれているこのような行動は、自らの世界を安定させるために必要だった。 だが実は、そんな世界は「世界」などではなく、ただの「世間」でしかない。 真の世界には、他者がうじゃうじゃと生きている。
「にんげん」にすら興味のなさそうな人間たちが、わき目も振らずに、自身の生を全うしようとしている。 彼らは「にんげんだもの」と頷き合っている私たちが、いかに言語や歴史や技術にがんじがらめにされた、脆弱な生き物であるのかを、教えてくれている。
保坂 健二朗
キュレーター
滋賀県立近代美術館館長
アーティスト / 作家 が発明したアール・ブリュットという概念も、編集者が研究書に与えたアウトサイダー・アートという言葉も、今を生きる私たちが必要としているアートの前では、その有効性を失っている。 ポコラートとは、そんなアートを集めるために編み出された新しい概念、いや、新しい場なのである。 アジアの一都市に生まれ育てられたポコラートという場に、アートの未来を考える人によって選ばれた作品が集まるこの機会を、見逃さないでほしい。
ポコラート世界展
「偶然と、必然と、」に
寄せられた応援メッセージ。
畠山 直哉
写真家
東京藝術大学大学院映像研究科教授
私たちの世界とは「にんげんだもの」と言われて頷く人々だけが暮らす世界だ。 その外部の住人 = 他者は、この「にんげん」には含まれていない。 他者への無関心、忌避、偏見、差別、排除。 「にんげん」によって毎日フツーにおこなわれているこのような行動は、自らの世界を安定させるために必要だった。 だが実は、そんな世界は「世界」などではなく、ただの「世間」でしかない。 真の世界には、他者がうじゃうじゃと生きている。
「にんげん」にすら興味のなさそうな人間たちが、わき目も振らずに、自身の生を全うしようとしている。 彼らは「にんげんだもの」と頷き合っている私たちが、いかに言語や歴史や技術にがんじがらめにされた、脆弱な生き物であるのかを、教えてくれている。
イマニュエル・マペウ 《無題》 2015年 ©collection abcd/Bruno Decharme
コスティア・ボトキン 《無題》 2019年 © La "S" Grand Atelier, B
3DVRで展覧会を鑑賞
会期は終了しましたが、3DVRを用いたバーチャルツアーにより、まるで会場にいるかのような鑑賞体験をお届けします。3D空間ではキュレーターの解説ビデオもご覧いただけます。
※購入後48時間は視聴可能です。
※チケットは鑑賞ページよりご購入ください。
(クレジットカード・銀行振込・paypal・コンビニ決済可)